✵セラピスト紹介✵
セラピスト、セラピスト育成講師
【名前】
Toshiya
【年齢】
1984年 4月生まれ
【趣味】
ドラム、旅行、カラオケ、格闘技観戦、居酒屋巡り
【特技】
リラクゼーション全般、シャンプー
【性格】
温厚、こだわりが強い、負けず嫌い
【好きな食べ物】
海鮮、ケチャップオムライス、甘いパイナップル、ビール
【苦手な食べ物】
酸っぱい物、苦い物
【好きな人】
ポジティブな人、ハイテンションな人
【自慢できる事】
1日の最高施術時間10時間、酔い潰れた時の帰省本能
【最近気になる事】
生え際の後退とほうれい線
では…少し真面目に。
私がご提供します技術は、
【ゆったり、無理なく、適切に】
を心掛けております!
呼吸のリズムに合わせて行うのが大きな特徴です。
急激な刺激や素早い動きは緊張を与え、リラックス効果が薄れてしまう他、筋肉の硬直や毛細血管への影響を及ぼすと考えております!
ですので、ゆったり、じんわりとコリ方や筋肉の反応を見ながら行います。
また、硬いコリは強く揉んで短時間でほぐす!
と言う考えは私にはございません。
諸説ありますが、強い刺激を与えると身体は防御反応として、更にコリを硬くして内臓を守ろうとします。
また揉み返し(好転反応と仰る治療家の方も多い)や内出血を起こすことも珍しくありません。
圧を加える方向や力加減の調整、筋肉の反応を見ながらほぐせば、過度な力は然程必要ないんです!
慢性的なハリやコリは一度ではほぐれない事もございますので体への負担を考え、定期的にケアをする事をお勧めしております。
リラックスしながら心身の緊張を解き、お疲れを癒すのが私の目的としていることです☆彡
マッサージは苦手だったけど、これなら大丈夫!とおっしゃってくださるお客様も多く見えますよ!
ファッションモデルやタレント、スポーツ選手も担当しておりますので安心して相談してくださいね!
生い立ち
【幼少期】
年少時は泣き虫で、運動会のお遊戯も泣いてできないくらいのヘタレ小僧。
年長になると血の気が多く負けず嫌いに変貌し、卒園式でお互いが流血する程の大ゲンカをする。
同級生の中で1番体の大きな子と対決し、当然ながら敗北を喫する。
【小学生】
低学年時はやはり新しい環境に慣れないせいかヘタレ再発。
ケンカを吹っかけたクセに返り討ちにあって逃げ出す。
相手は女の子。
男として最低、逃げるとかマジ萎え男子。
中学年では次男が入ってきたこともあり、それを守るために少し強くなった僕。
高学年になると三男が入学。
当時、すんごく可愛いかった彼をダシに、好きな女の子と仲良くなる便利な神ツールとして使用。
それ以上に『面白い』と言われる事に快感を覚え、常にチャラけて人気を博していた!←そう信じたい。
【中学生】
中1では、御察しの通りヘタレ再々発。
また、成績をやたらと気にし、頭の悪い自分がコンプレックスに感じ始める。
同じレベルの友達(←失礼)と関わる事で安心していた。
テストの結果が出るとお互い点数を言い合い、明らかに負けているのに「あ、あー、俺もそんくらい!」などと強がる。
中2では、俗に言う厨二病は患わず特に面白みもない日々を過ごす。
中3になると思春期と言う事もあり、自分の容姿を気にするようになる。
中1からジワジワとブサイク期に突入していたのだ。
ハイクオリティなブスメガネ。
ブスのファンタジスタ。
ブスの………まぁ何でもいい。
(写真が見たい方は本人まで)
好きな子にラブレターを書いた事もあったが、撃沈。
なぜならブサイク期真っ只中であったためだ。
きっとそうだ。
そうに違いない。
少し前までモテていた面影はもはや無かった。
自分に自信をなくした僕は自ら殻の中に閉じこもり、友達とも関わらない、休み時間は伏せて寝る、周りの目が気になる等、学生生活が苦痛で仕方なかった。
全員強制参加だった部活をあらゆるテクニックを駆使して幽霊部員になり、夏休みには髪型を変え、赤髪にし、コンタクトに変えた。
どうも、シャ●クスです。
もちろん夏休みが終わると元通りに染め直す。
学年主任怖いもん。
しかし、髪型を変え、コンタクトにした事で栄光再び!
通学中に高校生のお姉さん2人に逆ナンされる。
少しずつ自信を取り戻し、友達と関わるようになった。
休み時間にバスケをしていると後輩から黄色い声援。
卒業式にはめでたく女の子からボタンを貰いに来てくれたり写真もお願いされた。
近くに居たババ…母親は喜びを隠せていなかった。
この時、最悪の環境を抜け出すのは自分が行動しないといけないのだと学んだ。
悪いのは環境や他人でもなく自分自身であると。
自分の不幸の原因を周りに見てはいけない。
うん、いい事言った。
しかし、変わらなかった事が1つ。
頭が悪い。
学年でトップクラスのバカ。
進学を考えた時、地元で行ける高校はヤンキー校のみ。
そこで見つけたのが東京にある音楽学校。通信で高卒の資格も取れる所。
【テメェみたいな人生の負け組絞りカスでも入れてやる】と言う、なんとも暖かい学校。
『途中でケツだけは割るな』と言って送り出してくれた父と、応援してくれる母親の愛情を持って、おケツはすでに割れているだろ。と思いながら上京。
家族との別れ間際に、小学生の三男から『妥協すんなよ!』と、厳しいお言葉を頂戴する。
彼は意味がわからず使ったのだろう、当時流行ったテレビ番組であるボクサーが放った言葉。
その場のシチュエーションにしっくり来ていた。
【高校生】
ある程度ヘタレを克服していた。
バンドをやったり日雇いのバイトをしたり、時にはオジサマに体を狙われるような事件もあった。
(知りたい方は本人まで)
無事に高卒の資格も取り、次は進学だ!
と、考えていた矢先、当時お世話になっていた先生に
先生:『おい、お前進学どうするんだ?』
私:『え、美容学校行きますよ。愚かな質問を。』
先生:『お前…これ…願書提出期限切れてるじゃないか…』
私:『(・ω・)』
先生:『(・ω・)』
その場で美容学校に直談判。
校長:『いいですよ、では面接にいらしてください!』
校ーー長ーー!
そして俺の人生好ーー調ーー!
入学資料:『面接の他に作文、数学の試験あり』
………(゚д゚lll)
数学と言えば徹夜で勉強しても8割が0点と惜しくも負け越し…
しぇんしぇい、おちえて♡
上目遣いで可愛くお願いし、課題の方程式を勉強。
帰る時間もとっくに過ぎているのに教え続けてくれた先生の優しさと自分の愚かさに帰り道が涙で歪んだぜ。
試験当日、「予習もしたしチョロいな」とウ●ップになっていた鼻は、試験用紙をひっくり返した瞬間にヘシ折られた。
勉強した計算式と少し違う…
xの指定席をyが当然のような顔をして占領している。
試験終了。
先生ごめん、俺やっぱクズのままだったよ。
俺はフンコロガシや。
ミジンコの鼻くそや。
でも、本当にありがとう。
落ちた事を考えて次を探していたら、学校から手紙が届いた。
【夜間クラスでよければ合格とします】
校ーー長ーー!
そして俺の人生好ーー調ーー!←もういい。
こうして2年間の美容学校生活へ。
【美容学校】
入学早々、祖母が亡くなったと言う知らせが届いた。
最後に会ったのはいつだっただろう。
病院にお見舞いに行った帰り、起き上がるのもやっとの祖母が自分の姿が見えなくなるまで立っていた光景が鮮明に蘇った。
『あの子は1人東京で頑張っとる』と周りの方によく話していてくれたそうです。
登校を再開すると、授業はかなり進んでいた。
やり方に四苦八苦していると、それを見た先生に
『あなたやる気あるんですか?ちゃんと練習してきなさい。』とみんなの前で叱られた。
練習できる状態ではなかった事を知らない先生からしたら当たり前の発言。
悔しかった。
しかしその言葉が自分を変えた。
家族の応援や想いがある。
中途半端では申し訳が立たない!
そこから目標を決め、それをほぼ毎日こなした。
お陰で成績はトップクラス!
誰にも負けたくない一心でした。
真相は言わずじまいだったが、その先生に『すごく上手になりましたね』と言われた時、思わず抱きついた。
もちろん妄想の中でである。
【美容師1年生】
採用人数が数十名と言う大きな会社に入社。
職場環境と言うか人間関係は抜群に良く、厳しい中にも愛情たくさん!
忙しいお店ではあったが楽しく働けた。
営業後、練習はそこそこにして夏祭りに出かけたりカラオケしたり、挙句の果てには店内で焼き肉、飲み会、年越しパーティーなどなど…
入社当時『同期には誰にも負けん!』と意気込むも、社会は広かった。
学校での成績はほとんど無意味なものになった。
学校=美容師として働ける資格を取ること。
美容師=お客様を感動させること。
次々と課題をクリアしていく同期の中に埋もれた。
努力では補えないセンス。
1番から遠のいていく挫折感。
見事にメンタルが潰れた。
就職後1年も経たず東京を離れたが美容師の夢を捨て切れなかったので愛知県のサロンに再就職。
出勤初日から洗礼を受ける。
ろくに口をきいてもらえない。
ミスがあれば裏に呼び出されて怒鳴られた。
怒られない日はないくらい。
『店長、男のスタッフには厳しいからね。』
そう思えばアシスタント5人中、男は自分1人だった。
聞けば、すぐ辞めるから。だと。
とんでもない所に来てしまった。
普段甘い物は全くと言っていいほど食べなかったのだがストレスからか、体が糖分を求め、ご飯よりも毎日シュークリームにエクレアやチョコレートを異常なほど食べた。
そんな環境の中で、とりあえずシャンプーだけは誰にも負けないようにしよう!
と決めて練習をした。
ある日、シャンプーに物凄く厳しいと言うお客様がご来店。
店長ですら緊張する方。
あの偉そうな店長がソワソワしている。
いい気味だ( ̄▽ ̄)ケケケ
気に入らないとお怒りになると。
(・ω・)?
あかん、1番下っ端の自分がやる事になるやんけ!!!!!
でも緊張はなかった。
際から際、かゆいポイント、泡が残りやすい場所、リズム、抑揚、全てに自信があった。
叱られることもなく無事にシャンプーを終えると、そのお客様から
『あなたのシャンプーとても上手ね!今までで1番上手だったわ!あなたお名前は?』
とのお言葉を頂いた。
まぁ当然や( ̄ー ̄)
それを皮切りに他のお客様にもシャンプー指名を頂くようになりました。
その頃からようやく
『お前すげぇな。』
『〇〇さん、お前に担当してほしいって。』
少しずつ認めてもらえるようになりました。
まぁ相変わらず怒鳴られ胸ぐら掴まれ叱られる日々でしたが・・・
いろいろと訳あってこのサロンも去る事になるのですが、退職を申し出ると、厳しく接していたのは
『いずれこのお店をお前に任せたいと思っていた。』
との事。
店長曰く「初めてシャンプー指名をくれたお客様は、元々オーナーのお客様で、
『今担当している俺でもビビる厳しいお客様。
その方に気に入られたのはお前が初めてだった』と。
今更そんなん知らんし!!!
ワシゃ優しくされて育つんじゃ!
その後も引き止められ、ここも大きな会社だったので、社長面談、謎のオーナー面談もありましたが、頑固な性格は曲がらず退職。
とは言え、可能性を感じてくれていた事がとても嬉しかったのを覚えています。
厳しさに耐えきれなくなった時、何度逃げようと思ったか。
今でもたまに顔を出しにいくのですが、あたたかく迎えてくれます。
逃げなくて本当によかった。
この体験があったからこそ、少々の事には耐えられるようになった。
【美容師2年生】
忙しくめまぐるしく毎日が過ぎていった過去の2店舗とは違い、今度は個人のお店に就職。
一人一人のお客様と向き合いたかったからです。
美容師になって2年目、ここでスタイリストデビューをしました。
初めてのお客様は小学校5年生の男の子。
それ以来デビューからずーっと指名してくれました。
もちろん上手くいく時ばかりではありませんでした。
時には厳しいご意見も頂きましたが、ここでは2年ほどお世話になり沢山の方にご指名を頂きました。
自ら『おっさん』と名乗る女性オーナー。
飲みに行くにもなぜかスナックや女の子のいるお店、しかも女の子達にモテモテ(°_°)
もちろん、仕事でもプライベートでも良い意味で男気のあるオーナーでした!
【美容師4年生】
ここでは4年間お世話になる事になります。
大手カツラメーカー。
一人一人の頭の形、髪の色、希望のスタイルなどを細かく相談して作り上げていくのです。
このお店では頂く指名の数が爆発し、自分の存在がこんなにも沢山の方の支えになっているんだ!と実感させて頂きました。
誰も言ってくれないから自分で言いますが、まさにオッサン達の救世主!
が、腰椎分離症と呼ばれる腰の痛みを患ったために立ち仕事、中腰姿勢を多くとる美容師を辞めざるをえない事に。
そんな中、お客様方から
『マッサージ上手だしその道に行ってみたら?』
と何度かアドバイスを頂いていたのでその道へ。
マッサージ師になるにはまた時間とお金がかかるので、リラクゼーションのお店で働く事に決めました。
【セラピスト1年生】
28歳にしてまたまた再就職。
温浴施設の中にあるお店で、個人事業主として2年ほどやらせて頂きました。
自営業と言うこともあり、ろくに勉強もしてこなかったので確定申告やらなんやらで頭が割れそうでした(; ̄ェ ̄)
でも自分で決めた好きな道だった事が力となり、自営を始めてからの勉強でしたが何とかなりました!
昔から、美容師として30歳までにはお店を出す!
と言う目標があったものの、出店場所や集客方法など全く考えもせず、気付けば30歳まであと半年を切った。
相変わらず危機感0、学習能力0(ー ー;)
そんな時、大阪、京都でエステ店の経営をしているオーナーさんとSNSで知り合う。
この方との出会いがきっかけで、晴れて30歳で独立!
正に運命の出会い。のんびりしすぎなケツを叩いてくれたお陰です。
どうせやるなら!と、名古屋駅のど真ん中に出店!
とはいえマンションの一室。
でも一国一城の主!
もちろん最初から今くはいきませんでした。
しかし、辞めようと思うことは一度もありませんでした。
名古屋駅⇒栄を経て現在は岐阜県各務原市に移転。
いいことばかりではないけど、苦労してきた分、楽しい今があります。
長々と綴ってきましたが、最後までご覧頂きありがとうございます。